57577 Bad Request

故障中のエレベーターで旅をする

輪郭

私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは、国語だ。それ以外の何ものでもない。 (『告白と呪詛』シオラン 出口裕弘訳) 地図とは、空気も脂肪も注入することなくわれわれを膨らませるもっとも効率的な装置だろう。地図が読めるよう…

わたしのいない文章

すれ違う列車に俳句が書いてある むこうもこっちを読み上げている/高柳蕗子 『かばん』2020年7月号 この世には無数の列車があるが、人を乗せている列車はその中のほんの一握りで、さらにそのうちの一本だけがわたしを乗せている列車だ。そこまで話を絞り込…

どきどきさせる

君のかばんはいつでも無意味にちいさすぎ たまにでかすぎ どきどきさせる/宇都宮敦 『ピクニック』 「ちいさすぎ」ることと「でかすぎ」ることのあいだで「君のかばん」が拍動している。四句までかけて示されたその拍動が、結句で話者に「どきどきさせる」…

答えはない漂うだけでいいのだと五月の紙がペラペラ喋る/盛田志保子 「旅」 https://utatopolska.com/entry/ss-tabi/ 紙がペラペラで薄いことも、その紙がペラペラとめくれることも、誰が知っているのかというと、紙が知っているのだ。だからペラペラという…

螺旋

巻貝を何個もひろっていらっしゃい それがわたしのやさしさだから/正岡豊 「四白集」 https://drive.google.com/file/d/1_rv5D5b8XURscW82tWp03B0q8QnGHc8C/view 二階にいると二枚貝のことを思い出してしまう。できの悪い連想だとわかっているが、三階へ行…

みんな、気持の中で作り上げている、フォード・ムスタング語。そして、バン! プラタナスを抱き締める。左に”ムス"、右に"タング"。左と、右。 (「フォード・ムスタング」セルジュ・ゲンスブール 鳥取絹子訳) 世界に、ある名前が誕生する。人間の名前でも…

早送りの現実

天気がよかったので散歩しようと思った。そう思ってほんの二歩あるきだしたばかりだというのに、もう墓地に来ていた。いくつもの人工的な道が、歩きにくそうにくねくねとうねっている。そんな道の一つを彼は渓流下りでもするようにポッカリ浮かんで滑ってい…

小さな箱

建物があれば野原とは呼べなくなってしまうので野原管理者という仕事は消えてしまうのだ。だからぼくたちは地面に直接腰かけたり寝そべったりする生活に耐えなければならなかった。 「野原ひろがりセンター」我妻俊樹 これからは野原とそこに落ちる影のこと…

避難訓練

わたしたちの避難訓練は動物園のなかで手ぶらで待ち合わせること/平岡直子 「光と、ひかりの届く先」 今年負った傷が口をきくのは今から十年先のことだ。われわれが今年負った傷の話をしているとき、今年の傷にことよせて十年前の傷が口をきいている。 避難…

歌、階段

キャラメルが窓辺で姿かえている東階段室におります/東直子 『春原さんのリコーダー』 たとえば梯子とくらべてみれば階段は、私たちが上下の移動をするときの(猿だった時代へと心許なく手をさしのばすような)非日常的なうごきを抑え、二足で地面を水平に…

歯医者を増やせ

彼女の車は、西のほうに曲がると見えなくなった。ぼくはコーヒーカップを持ち上げちびりと飲むと、カップを置いた。テーブルには勘定書が置いてあった。一ドル八五セント。二ドル持っているから、チップと込みでどうにか間に合うな。でも、歯医者の治療費を…

リンチは決して天才的な映画作家ではなく、むしろ、その初期から長い時間かけて徐々に、自身の欲望に対して「厳密に忠実な」作品の有り様を追求しつづけ、少しずつそれを実現しつつあるような作家だと思われる(初期の『エレファント・マン』や『デューン 砂…

ニセモノたち

部屋に現れたのは、自分だ。でも、ちょっと顔が違う。目が少し吊っているし、顎も少し尖っているようだ。そんな少しずつの違いだが、明らかに自分ではない。似ているだけに薄気味悪い。そんな贋の自分が、我がもの顔で部屋にのさばっている。 「プリオン的」…

夢の中の映画

Q 一番好きなシーンを教えてください。A 『勝手にしやがれ』の、街灯が一斉に点くシーン。 (『ユングのサウンドトラック』菊地成孔) 夢の中で観た映画で震えるほど感動したことが二度だけあって、ひとつは大島渚の未見の作品、もうひとつはジョン・フォ…

工業製品

孤獨にて初夏の遊園地の 類人猿 ( チンパンジー ) の最敬禮をうけゐる/塚本邦雄 『日本人靈歌』 遊園地は工場に似ている。もちろん遊園地では「人間の目的に機械を奉仕させる」という関係は維持されているのだが、その「目的」が「機械の駆動そのものを体…

映画は裏がえっている

坂を転がりながらできるバイトでもさがそうか (「神代辰巳のナンバースリー」安川奈緒) 映画は何度も裏がえりながらここにやってくる。画面をいくらみすえてもそこには反転した回数をさかのぼるための手がかりは残されていない。少なくともわたしという無…

縦と横

「人は、いつも引き裂かれている。上半身は空に向かおうとし、下半身は土に根を下ろそうとしている」 (「引き裂かれて」岸田今日子) 縦に長いものは人間に似てしまう。縦長のシルエットをもつものは、それが人間なのかどうか内容を十分吟味される前に、輪…

月光酔い

右目から月までの距離を求めよミクロン以下は切り捨てとする/二階堂奥歯 『八本脚の蝶』 ええそうなんです、おまわりさん。あんまりいい月がかかってたものだからうっかり散歩に出てしまって。気をつけなきゃいけないことは承知でした。私には、やっぱりこ…

ラブ&ピース

原価1円のコーラと、ミンチにされた牛肉が生み出す愛に全てが駆逐され、1990年代を生き延びることができなかった、資本主義的なLOVEは、ラブホテルのLOVEとして今も生き続けている。 (「『足の踏み場、象の墓場』全首評①」N/W)https://tomtanka.tumblr.co…

短歌目線

車と催眠術のつもりの対等な排気筒です、の中世界中/飯塚距離 「MY WOLF END」 わたしは自動車の免許を持っていないから、自動車目線でこの世をみたことがない。わたしは短歌をつくるから、短歌目線でこの世をみているところがいくらかはある。短歌を運転す…

わたしの刺青

シャボン玉口にふくんだような声ですが決して名前は呼ばないのです/飯田有子 『林檎貫通式』 自分ではみることのできない位置に刺青された名前を、みんながさまざまな読み方で呼んでくるので、あなたはいつまでたってもその刺青を自分でもみたことがあると…

例外の仕事

一日中考えてる事は辞める理由だけだ夢も希望もない (「血痰処理」逆柱いみり) かなりの人は仕事がつらそうな顔をしている。実際にそれを口に出していう人も多い。仕事がつらい理由の何割かは「それが仕事だから」という身も蓋もないところに本当の根っこ…

セクシャルな赤ん坊

たしかにわたしはセックス・アピールが何かなんて全然知らなかった。セックスそのものについては、なんだか怒ることと関係あるみたいだと思っていた。猫はそれの最中ずっと怒っているみたいだったし、映画スターもみんな怒っているみたいに見えた。 (「セッ…

神輿

風邪をひいてゆくことが音楽のようにひまつぶしになるなんて今頃/我妻俊樹 「年またぎ108短歌(2012~2013)」https://togetter.com/li/432856 わたしは今風邪をひいていて、風邪をひくといつも粘膜が存在感を増すことで自分が「通り道」なのだということを…

大人の迷子

工事中の広い道は途中で切れている可能性がある。前からあるらしい細い道のほうもあやしげだった。車一台ようやく通れるだけの幅しかなく凹凸もひどい。第一、二つの道は方角が九十度違うのである。 (「祇樹院」吉田知子) 大人の「迷子」とは道に迷うこと…

摩擦とめざめ

車掌と運転手は、自分たちにもわけがわからない、バスが勝手に走っているのだと、いきどおる乗客たちをなだめようとしました。 (「トロリーバス75番」ジャンニ・ロダーリ 内田洋子訳) いわゆる「結末から書きはじめる」ような小説に、短歌は似ているだろう…

すれ違う戸口

いずこにも風吹く秋に手足なき 人形 ( ひとがた ) たちのあわいをあゆむ/佐藤弓生 『モーヴ色のあめふる』 私は人形をひとつも持っていない。だが私は人形が好きだと思う。人間にとって人形との関係の結びかたはおもに二つの経路があるような気がする。ひ…

塔がみていた

京都タワーの案内看板の矢印を逆にたどれば第二京都タワーに辿りつけるはずよ (「イノセントワールド」panpanya) うちの近所の坂の上から、スカイツリーの先端部分が少しだけみえるらしい。天候のせいかまだはっきりとは視認できていないけれど、写真を撮…

歩く金魚

縁日には、おかまの聖子ちゃんが母さんと来ていた、蜻蛉柄の浴衣で/山崎聡子 『手のひらの花火』 浴衣は金魚っぽい。夏の風物詩どうしであることからの連想や、縁日の金魚すくいの水面を挟んですくう側とすくわれる側、であることの不均衡な鏡像めいた関係…

旅情生活者

時どき私はそんな路を歩きながら、不圖(ふと)、其處が京都ではなくて京都から何百里も離れた仙臺とか長崎とか――そのやうな市(まち)へ今自分が來てゐるのだ――といふ錯覺を起さうと努める。私は、出來ることなら京都から逃出して誰一人(だれひとり)知ら…