57577 Bad Request

故障中のエレベーターで旅をする

すれ違う戸口

いずこにも風吹く秋に手足なき 人形 ひとがた たちのあわいをあゆむ/佐藤弓生

『モーヴ色のあめふる』

 

私は人形をひとつも持っていない。だが私は人形が好きだと思う。
人間にとって人形との関係の結びかたはおもに二つの経路があるような気がする。ひとつは自らの鏡、時には手に取れるほどコンパクトな自己の似姿として人形に接するやりかた。もうひとつは、人形の服装や身につけた小物、外観のデフォルメ具合や異形ぶりなどに見合った「人形が日々を過ごしている、ここではない世界」の断面として人形に接するやりかただ。
人形はたいてい人間よりも小さいが、前者ではその小ささは「身近なものを少し離れた場所に置いて眺める」ときの小ささであり、後者では「遠く遥かなものをここからこっそり覗き見る」ときの小ささなのだと思う。
自分に似ているものは、自分への入口にも、自分からの出口にもなるのだということ。その二つの動きにおいて私は私とすれ違っている。そこへ入っていく私とそこから出ていく私が人形からは同時に感じとれるだろう。
鏡の前のめまいにも似たこの感覚が、短歌を読むときの私にもおとずれることがあると思う。私をここから連れ出すことと、私をここへ連れてくることのすれ違う戸口。そういうものに見えてくる歌には作者が――読む者をしばしばとまどわせる、愛に飢えた作者たちが――居座ってなどいないが、無人である一首じたいがどこか人のかたちに似ている。こちらを向いているようにも、うしろ姿にもみえる輪郭だ。