57577 Bad Request

故障中のエレベーターで旅をする

避難訓練

わたしたちの避難訓練は動物園のなかで手ぶらで待ち合わせること/平岡直子

「光と、ひかりの届く先」

 

今年負った傷が口をきくのは今から十年先のことだ。われわれが今年負った傷の話をしているとき、今年の傷にことよせて十年前の傷が口をきいている。 
避難訓練をするのは、訓練としてくりかえされる避難のうちに、じっさいの避難を飲み込むためだろう。つまり来たるべき災禍を訓練としていくらか日常に先取りしておくことによって、その災禍のさなかに日常をしのびこませるという取引きである。日常の中に予防医学的に散りばめようとするささやかな被災は、これから来るだろう大きな被災への準備であると同時に、かつてあった大きな被災のもたらした傷への反復強迫的な態度でもある。われわれは過去に負った傷と未来に負う傷の間の、奇妙に何もない場所につねに生きている。今年負った傷が口をききはじめるのは十年先のことだ。生まれてまもないこの傷は、今は意味を何ひとつ理解しないまま、過去からきこえてくる声をその湿った傷口に受けとめ続けている。