57577 Bad Request

故障中のエレベーターで旅をする

人魚

旅客機を乾かしながら膝枕/暮田真名

『川柳スパイラル』第5号

 

われわれが思い浮かべる乗り物のほとんどに顔があるのではないだろうか。飛行機はさらに両腕=つばさまで持つことで、人にも鳥にも見える姿を獲得している。だが視線をさらに奥へと進めれば、その行き止まりに尾びれのごときものが目に入ることで話がおかしくなってくる。
もちろん尾翼を尾羽とみなし、着陸脚を両脚と見れば依然として堂々たる鳥の姿なのだが、一度目覚めた「魚である可能性」を眠らせきれない目には飛行機が、下半身のみを魚類の世界に浸すもの、つまり人魚のたぐいに数えられるべきと映ることをもはや止められないだろう。
たとえば川柳とは、夜の夢の話法にも似たこのようなめまぐるしい連想のうちに、失われた部品として人間の下半身つまり「膝枕」がふと回帰してくることで完成するような場所のことなのかもしれない。
異様な部首が集合したありえない一文字のようなこの簡潔さには、〈私〉の入り込む余地などみあたらない。こうした簡潔さと無縁でしかない自らに絶望することを放棄した短歌が、結語を先延ばしにされ弛緩する時間にのうのうと〈私〉として語り出す光景をわれわれは見慣れているはずだ。川柳のように切り上げることを禁じられた歌たちが、いまだここに〈私〉があるかのようにふるまうペテンに加担し続ける光景。われわれにはほんとうに、それ以外えらべないのだろうか?