57577 Bad Request

故障中のエレベーターで旅をする

絞られたチューブ

「猫投げるくらいがなによ本気だして怒りゃハミガキしぼりきるわよ」/穂村弘

『シンジケート』

 

短歌は一般に、定型という容器に言葉を詰め込んだものだと思われがちだが、短歌はほんとうは、中身を絞って使いきられた歯みがき粉のチューブに近いものだ。

一首の歌のうちに読むことのできる言葉は、定型に詰め込まれたものではなく、それじたいは誰も見ることも触ることもできない定型を、見たり触ったりするために使われている。つまり短歌にとって言葉は中身ではなく、定型という非実在に近い容器を実在のほうへ寄せるためにもちいられる素材である。

そして一首の歌にあてがわれている音数=時間は、そこに中身を持ち込む前に尽きてしまうから、容器としての定型は絞りきられたかたちを示すことでかろうじて中身に言及することになる。一首を読みたどる読者は、歯みがき粉じたいは一度も目にすることなしに、チューブが絞られていく過程に立ち会うことになるのだ。