57577 Bad Request

故障中のエレベーターで旅をする

半分だけの乗り物

ドリームランドは、ま、云ってみれば僕の庭みたいなもの。というのも僕が通っていたドリーム学習塾はランド直営の塾で、ここの生徒になればランドの入園料がタダになるという特典付だったからです。

(『クレイジーケンの夜のエアポケット』横山剣

 

遊園地にある乗り物のうち、短歌にいちばんよくうたわれてきたのは観覧車ではないだろうか。ジェットコースターやメリーゴーラウンドらに較べ、漢字三文字、五音に収まるというコンパクトさは短歌定型での取り扱いが容易なうえ、観覧車はその巨大さと動きの遅さ、そして密室が遥かな高みに運ばれる機構がきわめて“文学的”なスケールを場にかき立てるかもしれない。おそらく小説にもっともよく描かれてきたのも観覧車だろう。俳句は、川柳はどうだろうか。映画では微差でメリーゴーラウンドの勝ちを予想したい。
遊園地にはどこにも行けない乗り物が集まっている。乗り物としてはただ敷地内で回転すること、円を描くこと以外に能がなく、途中下車もできない。乗客は数分後にふたたび元の場所に戻ってくるために料金を払うのだ。それは我々が現実世界で乗り物を利用する表向きの理由だけがきれいに剥がし取られた、半分だけの乗り物たちである。夢の中で味わう味だけを残した夢の乗り物。現実世界で言葉を使用する表向きの理由を剥がした言葉が文学だとすれば、遊園地の乗り物は程度の差はあれ、どれも文学的と云っていいのかもしれない。
我々がいま生きているのは、年々遊園地の数の減り続けている世界だ。「どこにも行けない乗り物」を養う力の衰えたこの世の中に、楽園から追放されてきたかれらの、さまざまな姿に身をやつした流浪の気配を読み取る嗅覚が、私にはまだ残っているだろうか。