57577 Bad Request

故障中のエレベーターで旅をする

地名について

桜通りも椿通りも行きどまり/八木千代

『椿抄』

 

名前をつけるとは、行きどまりをつくることだ。行きどまりをつくらなければ、私は際限なくどこまでも先に進めてしまう。どこまでもとは、どこまでもだ。海という名前を知らなければ、そのだんだん深くなっていく押し引きする水から引き返すのに、何か差し迫った理由が必要になるかもしれない。ああ海だ。海だね。といううなずきを交わすことなしにそれに背を向けるには、たとえば殺気をみなぎらせて近づく巨大な影のただよい――人喰い鮫? という名前は手に入れたとして――に追われる必要があるのではないだろうか。
地名とは、世界を地図のようにひろげて生きる体にとっての無数の行きどまりだ。そこから引き返していいというしるしの散らばっていない地図は、紙面が飲み込んだ視線をふたたび手放すことがないだろう。白紙の土地へのお出かけは行きっぱなしになる。だが私たちはしばしば白紙の土地へ散歩や旅に出かけ、実際それっきりになっているはずなのだ。自分だけがそのことに気づかずにいるのは、迷い先の地面に力尽きて座り込んでしまうにあたり、うろおぼえの過去の住所を無意識に足もとに書きつけているからだ。
寄る辺ない未知の場所で、自分は無事家に帰ってこれたのだと噛みしめるように信じること。人はそのようにして散り散りになっていくのである。