57577 Bad Request

故障中のエレベーターで旅をする

スイッチを探せ

Hは返事をするかわりに片方の袖をたくしあげ、二の腕にある染みのようなものを黙って指さした。

(「あざ」アンナ・カヴァン 岸本佐知子訳)

 

きみの人生のどこかに、その人生をまったくべつの人生に変えてしまうスイッチがある。このことを疑う必要はないんだ。みつけられないことと、ないことはちがう。あるものならきっとみつかるはずだというのは、死んだ人間は最初から生まれてなかったのだというくらい、乱暴な言い草だ。
スイッチは、どこかにかくされている。たとえばきみが今住む町の名前を示す文字の中の、もっとも線が密集している部分。一度も拡大して見たことのないその文字は、絡まり合った毛糸の玉のうちに隠し物をするために、そこに当て嵌められたのかもしれない。
あるいは、きみが子供の頃に金魚を飼っていた水槽の隅の、ミニチュアの岩にいつも隠れていた部分。ガラスを内側から誰かが故意に傷つけたようなその意味ありげな印に、きみは一度も指を触れたことがなかったはずだ。幸運にも、その水槽は実家の物置で埃をかぶったままいまだ健在なのだとしたら、どれほど隅々まで意味づけられ身動きの取れない箱詰めの人形に見えるきみの人生も、試し書きのペンみたいにその気になればいつでも手放せるし交換できるっていうこと。勇気はいらない。ただ少しばかりの酩酊にふらつく足取りがあれば、きみは三十年前の水槽の前にだって立てるはず。人生に散りばめられたヒントがつながって指し示している矢印の先にあるスイッチ。あれは、ずっときみに触れられるのを待ってるみたいなんだ。