57577 Bad Request

故障中のエレベーターで旅をする

壁の光

「私たちはみんな地獄にいるの。だけど、そのうち何人かは目かくしをはずして、何も見るべきものはないと見きわめたの。それもある種の救いでしょう。」

(「田舎の善人」フラナリー・オコナー 横山貞子訳)

 

言葉とは、私たちが生まれつき閉じ込められている箱の外が見たくて、壁にナイフで刻みつけてできた傷のことです。
でも
壁にほんとうに穴があくほど刃先が深く刺さると、外光を招き入れたその傷は眩しすぎて直視できなくなる。だから私たちが覗き込んでいるつもりになっているのは、もっぱら表面を引っ掻くにとどまった浅い傷のほうばかり。
壁の外に届いてしまった穴の漏らす光が、それらの傷を照らしている。私たちは傷に溜まった光を外の光景だと信じきっています。月を太陽だと思い込むも同然の錯誤ですが、本物の太陽から目をそらし続けることで瞳の無事が保たれているのもまた事実なのです。
光源はすぐそばにある。私たちを釘付けにしている、失敗した傷とほんの隣り合わせにあるのかもしれない。だけど私たちはその光を直接目に入れることは
ないでしょう。自分の体を、時には他人の体を盾にして、つねに間接光のみに向けたまなざしで世界を手に入れている。この回りくどい作法を経た痕跡のあるものは、広い意味ですべて言葉だといえます。
目を閉じて物を見る、ということが身についた動物であるわれわれが、瞼の裏に見ているのが言葉でこしらえた世界、つまり今ここにある世界です。そのことを薄々気づいてもいる私たちは、自分が箱に囚われているのだというお話にこの疑念をすり替え、箱の壁らしき表面にナイフの刃をあてがっている。けれど私たちが傷つけているのは自分の瞼であり、目を開ければ瞳がかれるほかない光を、体は生まれた時からずっと浴び続けてきたのです。