57577 Bad Request

故障中のエレベーターで旅をする

ひび割れて

初めのうちは、私の観察は抽象的な概括的な方向をとっていた。通行人を集団として眺め、彼らをその集合的関係で考えるだけであった。しかしやがて、だんだん詳細な点に入ってゆき、姿、服装、態度、歩き振り、顔付き、容貌の表情、などの無数の変化を、精密な感興をもって注視するようになった。

(「群衆の人」エドガー・アラン・ポー 佐々木直次郎訳)

 

人間は一人一人がというより、一人がいくつもの部品に泣き別れるような種類の孤独を暮らしていて、そのことを「私の孤独」という話に読み替えているのかもしれない。
あなたが誰かとともにあることは、あなたの一部が誰かの一部とともにあることであり、それ以上でも以下でもない。あなたの別の一部は、また別な誰かの一部とともにあるだろうし、あなたは手持ちのナイフの性能によってはいくらでも自分を切り分けることが可能で、分けた数だけ誰かとともにあることができる。
ただしその出会うべき誰かは、一人として完全な姿をたもってはいないのだ。今のあなたと同じように。

あなたが切り分けられるとは、いいかえれば、あなたという土地がひび割れて道路に浸食されていくことだ。
誰でも自由に歩くことが許される、Googleストリートビューの撮影車も時おり走り抜けていく道が、あなたを分割し続ける世界。スマートフォンで地球の裏側の他人の玄関先が瞬時に覗けるように、そこでは私たちは気軽に部品になって出会っては別れる。あなたの左手は会ったことのない誰かの右膝に置かれ、名も知らない誰かの舌先があなたのつむじに押しあてられている。自分をひび割れさせた道をすべてふさげば、あなたはひとつの完全な土地にもどれるだろうか。左の睫毛を訪ねてくるものや、右の腎臓に届けられる年賀状を唯一の門前で追い返すような、傲慢にして優雅な身体。深窓の孤独の回復。だがその夢のはるか手前で私たちは、「群衆の孤独」という言葉の見失われるさまを眺めつつあるだろう。