57577 Bad Request

故障中のエレベーターで旅をする

最初の西友

おじさんは西友よりずっと小さくて裏口に自転車をとめている/永井祐

『日本の中でたのしく暮らす』

 

私の人生で最初の西友は現存していない。その町は私の人生で最初の〈繁華街〉だったけれど、のちに再開発で商店街が消え昔の面影はほぼ一掃されてしまった。西友は再開発の少し前に姿を消して別な商業施設が同じ場所に建っている。そうとは知らずたまたま所用でひさしぶりに現地を訪れたときは驚いた。子供の頃の自分にとって西友の〈大きさ〉はそんなにあっけなく片付くはずのものではなかったし、跡地に建っていたまだ新品の施設の中途半端な〈小ささ〉にも不安をおぼえたのだ。
思い出によって押し広げられた空間はいったん畳まれると、元通りに広げ直すことができない。人生最初の西友は、人生最初の繁華街とともに今ではミニチュアのように窮屈に縮んで私の手のひらの上にある。あの町は私が町を見るときの無意識の物差しになっているはずだし、町だけでなく、家の間取りや映画のプロット、テーブル上の皿の並べ方や公園でベンチと遊具と樹木の配置を眺めること、手に取った本の表紙を気に入ったり入らなかったりすること、文章や短歌を推敲するときの目にも無意識の物差しとして介入しているはず。
あの西友とあの商店街の位置関係に似たものを、私は私の文章の中に指摘できるだろうか。