57577 Bad Request

故障中のエレベーターで旅をする

大人の迷子

工事中の広い道は途中で切れている可能性がある。前からあるらしい細い道のほうもあやしげだった。車一台ようやく通れるだけの幅しかなく凹凸もひどい。第一、二つの道は方角が九十度違うのである。

(「祇樹院」吉田知子

 

大人の「迷子」とは道に迷うことの意味だが、本来の、というか子供にとっての「迷子」とはおもに引率者の大人とはぐれることだろう。
そういう意味で私には子供の頃迷子になった経験がほとんどない。自宅を離れたなじみの薄い場所で、連れの大人の姿を見失うようなうかつな行動をしない子供だった。つまり、駄目な子供だ。でも大人になってから、道に迷うという意味での迷子にしばしばなることができるのは、当時袖口にしがみついて縋った「頼りになる大人」の役割を、自分自身に対し果たせていないからなのだと思う。
駄目じゃない子供、つまり大人の目の届かないところへ自由に姿を消すことのできる立派な子供は、そのままいなくなってしまうこともある。あるいは、帰ってきたときには大人になっている。子供は大人が目を離した隙に少しずつ自分をつくる荷物を積み替えるものだ。迷子になっていた時間が長いほど、この積み替え作業は捗るだろう。
ずっと同じ荷物、つまり子供の頃買い与えられた自転車や服や玩具を大事にそのまま積んで大人になったわたしのような者には、自分をみちびいてくれるもう一人のわたしをどこかで乗り込ませるチャンスもなかったのだ。