57577 Bad Request

故障中のエレベーターで旅をする

神輿

風邪をひいてゆくことが音楽のようにひまつぶしになるなんて今頃/我妻俊樹

「年またぎ108短歌(2012~2013)」
https://togetter.com/li/432856

 

わたしは今風邪をひいていて、風邪をひくといつも粘膜が存在感を増すことで自分が「通り道」なのだということを実感させられる。ふだんはおとなしく影薄く行き来している通行人たちが、神輿の熱狂に浮かされてむやみに道をこする群衆として存在を主張してくるのだ。今回の風邪は、気管支あたりで滞った雑踏がわっしょいわっしょいをやり続けてしばらく神輿が居座りそうな予感がしている。
(しかし風邪をひいていることはトンネルに閉じ込められているような体感で、そのトンネルの出口は自分の粘膜からの出口のようだ、粘膜を外側へと裏がえされた自分……)

この、炎症で過敏になった粘膜とそこを通るものとの祝祭的な関係を、風邪をひいたときにつくる短歌が(たとえば定型と日本語の関係として)なぞることはあるだろうか。あるともないともいえそうなものだが、じっさいに風邪で発熱しつつあるときに即詠した拙作から一首をここに引くことで、考察または答えに代えさせていただく。