57577 Bad Request

故障中のエレベーターで旅をする

セクシャルな赤ん坊

たしかにわたしはセックス・アピールが何かなんて全然知らなかった。セックスそのものについては、なんだか怒ることと関係あるみたいだと思っていた。猫はそれの最中ずっと怒っているみたいだったし、映画スターもみんな怒っているみたいに見えた。

(「セックス・アピール」ルシア・ベルリン 岸本佐知子訳)

 

発情期の猫の出す声を、赤ん坊の泣き声と聞きまちがえることがある。どこかで赤ん坊が泣いてるな、としばらく聞くとはなしに聞いていて、ふとおかしいと気づく。赤ん坊の声にしてはどこか平板で、なんというか、ちょっと機械的なのだ。底が浅い感じ。なにかが赤ん坊の物真似をしているようにも聞こえる。
すぐに発情した猫だと思い当たるのだが、そういう聞きまちがいを何度かくりかえすうちに、どっちがどっちだったのかを忘れてしまう。つまり「おわーお、おわああーお」という声が聞こえてくると「いつものあれだ」と思った後で、発情期の猫の声にそっくりだけど赤ん坊、だったっけ? それとも逆だっけ? と混乱する。
「おわーお」が始まると頭の中から「発情した猫の声」「赤ん坊の声」「のように聞こえるけど実は」という三枚のカードを瞬時に取り出すことはできるようになった。だが、カードを並べる順番がわからないのだ。順番についての指示はカードに記されていない。声をしばらく聞いていると、それがどうやら屋外で響いていることや、声の周囲に奇妙に他の誰の気配もないことに気づく。そこでようやく「赤ん坊の声」「のように聞こえるけど実は」「発情した猫の声」という並びにたどり着く。しばらく三枚のカードを眺めたのち、これでよし、と判断するのである。
結局のところ、理解にいたる時間はカードを手に入れる前とあまり変わらないような気もする。この混乱のもとは、発情猫の声が赤ん坊の夜泣きとそっくりなことではなく、どこか決定的に違うところにあるのだろう。人間なら赤ん坊のうちから備えている感情の深みがその声から聞きとれないだけでなく、当然にというか、声の切実な訴えに性的なニュアンスが加わっていることを耳が聞きとっているせいだと思う。
「セクシャルな赤ん坊」という妖魔的なイメージが一瞬でもちらつくと、その声のもつ非人間性や、にせものっぽさ、屋外で独りで泣いているらしいことにもべつな意味が生じてしまう。「赤ん坊の声のように聞こえるけど実は発情した猫の声」という正しい判断に至るまでの毎度の混乱は、それらのノイズを振り落とすためにあるのかもしれない。