57577 Bad Request

故障中のエレベーターで旅をする

リンチは決して天才的な映画作家ではなく、むしろ、その初期から長い時間かけて徐々に、自身の欲望に対して「厳密に忠実な」作品の有り様を追求しつづけ、少しずつそれを実現しつつあるような作家だと思われる(初期の『エレファント・マン』や『デューン 砂の惑星』などは、退屈だと思う)。

(『世界へと滲み出す脳』古谷利裕)

 

年金がもらえないきみと、年金が払えないぼくが同じ川を別々な橋で渡っている。この方角は一致しているのだろうか。ぼくの歩みに寄り添うのはひどく速度を落とした古い電車で、お客は一人も乗っていないけど、座席はさまざまな花を咲かせた植木鉢で埋まっている。きみの渡る橋にはところどころ椅子があって、小犬を連れたご御婦人ばかりが座っているね。話しかけると同じ声で「どういたしまして」とこたえる御婦人方は、眼鏡にひびが入っていること以外は平凡で、微笑ましい存在感をともしている。
川の流れる音は、巻き戻されるビデオテープの音だ。川面に映るのは大急ぎで過去に引き返していくぼくらの姿。ではこうしよう、ぼくたちは同じ映画の裏と表から見た同じ登場人物だけど、光のあたる角度によって人の考えはこんなに違うということを証明し続けている、映像なんだ。人間の頭の中は、ぶしつけに覗く他人がいるかぎりその人にとって実験映像だから、覗かれるのが嫌なら穴より大きい物語でふさぐしかない。物語があれば、川をじっと見ているとやがて橋の方がうごき出すみたいに、物語が止まり、映画が逆流しはじめる瞬間がある。橋の上で立ち止まっている人にとって、欄干の外にはいつでも無限に思える川幅の流れがある。世界のすべてがいっせいに色褪せていけるだけの、向こう岸のみえないビデオテープの幅が。