57577 Bad Request

故障中のエレベーターで旅をする

2020-01-01から1年間の記事一覧

軽いまぶた

都会の建築というものはぼやけていて薄暗く、汚く、俗悪で、萎縮している。白雲ホテルはそんな建築のひとつだった。 (「そろばん」残雪 鷲巣益美訳) ホテルが好きか嫌いかと訊かれたら、好きなほうだと思う。ただホテルではあまり眠れない。ホテルのベッド…

最初の西友

おじさんは西友よりずっと小さくて裏口に自転車をとめている/永井祐 『日本の中でたのしく暮らす』 私の人生で最初の西友は現存していない。その町は私の人生で最初の〈繁華街〉だったけれど、のちに再開発で商店街が消え昔の面影はほぼ一掃されてしまった…

ひび割れて

初めのうちは、私の観察は抽象的な概括的な方向をとっていた。通行人を集団として眺め、彼らをその集合的関係で考えるだけであった。しかしやがて、だんだん詳細な点に入ってゆき、姿、服装、態度、歩き振り、顔付き、容貌の表情、などの無数の変化を、精密…

短歌には上下がある

宝箱みたことないからみつけたら青空のした釘付けになるかも/谷川由里子 「ドゥ・ドゥ・ドゥ」 https://utatopolska.com/entry/tanka-du-du-du/ 短歌には上句があって下句がある。〈五七五〉と〈七七〉という異なるフォルムをもつ両者がそこでかわしている…

夢から来たもの

ハンカチは警察官のかたちして/樋口由紀子 『セレクション柳人13 樋口由紀子集』 この世に存在する職業には大きく二種類あるんではないかと思う。我々が夜見る夢の世界に起原があるものと、そうではないもの。裁判官や検察官、弁護士など、司法にかかわる職…

ある日突然

死んだ奴が入学してきた。同じクラスになった。 完全に死んでいる。 (『ラジオの仏』山本直樹) 名前だけが自分のもので、他は全く心当たりがない。そういう人生にある日突然投げ込まれてしまったあなたが、名前の裏に隠れるようにして仕事をしていると(あ…

夜の惑星

雨夜の黒き澁滯一瞬に古家具の部屋に押し入りたり/葛原妙子 『葡萄木立』 夜降る雨と似ているものには、夜の川や夜の海のほかに、あるいはそれら以上に似たものとして夜の本が挙げられると思う。同じ方向へと降りそそぐ無数の文字のうち、光を浴びているわ…

壁の光

「私たちはみんな地獄にいるの。だけど、そのうち何人かは目かくしをはずして、何も見るべきものはないと見きわめたの。それもある種の救いでしょう。」 (「田舎の善人」フラナリー・オコナー 横山貞子訳) 言葉とは、私たちが生まれつき閉じ込められている…

韻律起承転結説

散らばりしぎんなんを見し かちかちとわれは犬齒の鳴るをしづめし/葛原妙子 『原牛』 もう少しましな、というか正確な名前がないかと思っているけれど、私の持論に「韻律起承転結説」というのがある。短歌が一首のうちに特定の子音や母音を何度もくりかえす…

声の聞こえる範囲

ナイフなど持ち慣れてない友だちに切られた傷の緑、真緑/兵庫ユカ 『七月の心臓』 人の心の傷つきやすさも、その傷の癒えがたさも、心そのものが傷でできているからには傷が癒えるとは極言すれば心が消えることを意味するのだし、心として生きるほかない我…

庭のある言葉

主庭は庭の中でも一番楽しみの多い部分で、一般には面積も他の部分より広いから、芝生、植込み、花壇、池などいろいろなものが作れます。 (『小住宅の庭』吉田徳治) とてもみじかい映画みたいな、他人の人生の挿話のような庭のある家に住みたいと思う。戸…

スイッチを探せ

Hは返事をするかわりに片方の袖をたくしあげ、二の腕にある染みのようなものを黙って指さした。 (「あざ」アンナ・カヴァン 岸本佐知子訳) きみの人生のどこかに、その人生をまったくべつの人生に変えてしまうスイッチがある。このことを疑う必要はないん…

地名について

桜通りも椿通りも行きどまり/八木千代 『椿抄』 名前をつけるとは、行きどまりをつくることだ。行きどまりをつくらなければ、私は際限なくどこまでも先に進めてしまう。どこまでもとは、どこまでもだ。海という名前を知らなければ、そのだんだん深くなって…

こまやかな社交

「すっかり、そう見えるでしょう?」と、その兎は嬉しそうに咽喉をクックッと鳴らしながら言った。「でも、本当は人間なのです。多分。どっちでもいいような気も最近ではしますけれど」 (「兎」金井美恵子) 短歌はどれも、誰かの遠回しな自己紹介文なのだ…

ここへ来た理由

ところがこの無言劇役者が限界を踏み外しているのは、「赤き死」の化身を気取っているところにある。 (「赤き死の仮面」エドガー・アラン・ポー 巽孝之訳) かつて一度も会ったことがないし、姿を見たこともなく、想像したことさえないものだけが、私を扉の…

ハリボテの頭

山越えの右と左に幼な妻/小池正博 『句集 水牛の余波』 川柳にはシンメトリックなところがあるような気がする。つまり人間のシルエットにたとえるなら、川柳は右や左への体の傾きがあまり感じられないのだ。印象の話に過ぎないし、俳句には明るくないから短…

革命はテーブルの上に

鉄棒の上に座って口喧嘩 くるんとぶら下がって口づけ/穂村弘 『ドライ ドライ アイス』 上下のあるものは回転する。革命は必ず起きる。ただし、増えすぎた下が数の力で上を追い落とすのではない。重力のあるこの世で、下が増えることはそのピラミッドに安定…

人間の本性

性教育の先生だって犬だった。お尻のまわりの毛を赤く染めた犬や性器を充血させた犬、お尻とお尻をくっつけた犬のカップル、牝犬にすげなくあしらわれてしょげ返った牡犬等を目撃して私たちは不思議な感動を覚えた。 (「犬よ!犬よ!」松浦理英子) 動物に…

栞の本

草地のうえでの劇的で謎めいた出来事に私が興味を示していることに、ちょうど通りかかった人が注意を向け、旅行者と見てとって丁寧な言葉遣いで話しかけてくれた。 (「輝く草地」アンナ・カヴァン 西崎憲訳) 長い旅の中途に町に立ち寄った人と話をする。そ…

半分だけの乗り物

ドリームランドは、ま、云ってみれば僕の庭みたいなもの。というのも僕が通っていたドリーム学習塾はランド直営の塾で、ここの生徒になればランドの入園料がタダになるという特典付だったからです。 (『クレイジーケンの夜のエアポケット』横山剣) 遊園地…

たどり着いた二階

8階、8階、8階、よんできて観覧車 しばしばも贅肉のみずうみ/瀬戸夏子 『そのなかに心臓をつくって住みなさい』 作品というのは「二階から二階へ上る/下る階段」であるべきだと思う。でもたいていの作品は三階に上るか一階に下ってしまう階段だし、ひど…

口にする口

その前に、世の中の今まで駄目になった女の子の名前をあげてみようか。その中にいかにも、うってつけって感じの名前があるかもしれないからね。 例えばテッド・バンディに殺された女の子たち。アメリカの女の子たち。 (「ノート(ある日の)」岡崎京子) よ…

鏡文字

唇で君の右肩上のほうに字を書けと言われ、気持ち悪いよ/片岡聡一 『海岸暗号化』 鏡文字で書かれている言葉だけが信用できる。鏡文字で書かれ、紙に映されることで再反転して立っている言葉は、文字列の逆流のけはいを目の裏が受け止めるので、目の奥だけ…

時計の世界

腕時計をしたままだったので、夜の十一時であることだけはわかった。 (「奪われた家」フリオ・コルタサル 寺尾隆吉訳) 腕時計を嵌めている人たちを見ると、時計に目を落とすたびその人が煙のように文字盤に吸い込まれていくのがわかる。どう考えても、時刻…

掟の門

なつみさんは僕の斜め前の席だった。きのう四階から飛びおりたというのにちゃんと出席していた。 (「なつみさん」大槻ケンジ) 教室は何度も出てくる。夢の中では小学校と大学の区別もろくにつかなくて、自分の背丈もよくわからないけど、教室に気づいたと…

表紙しかない

あなたのおばあさんはいつかあなたを思い浮かべ、続いていくはずだった営みを想像しました。さあ、墓をいっぱい立てよう! (「うつし絵」大江麻衣) 毎日いろんな表紙のことを想像してたら、いつのまにか中身はどこかへ消えてしまった。今では本は表紙だけ…

地図の地図

京都市は大きな年賀状なのだ/平岡直子 『ウマとヒマワリ7』 われわれは「地図の地図」を「地図」とよぶことで、「地図」のことを「世界」とよぶことに繰り上げ当選させている。おそらくはその平面上をよこぎっていく蟻や蠅捕り蜘蛛や草鞋虫の不規則な歩行…